カトリック北仙台教会

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教皇フランシスコ、2021年復活祭メッセージ

2021年4月9日

教皇フランシスコ、2021年復活祭メッセージ(ローマと全世界へ)
2021年4月4日

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ご復活おめでとうございます。

 世界中のいたるところで、今日、教会の知らせが響き渡ります。「主は、仰せのとおり死者のうちから復活された。アレルヤ。」

 復活祭のメッセージは、奇跡を起こすものでも、魔法のことばを教えてくれるものでもありません。わたしたちが陥っているこの苦境から脱する道を指し示すわけでもありません。パンデミックはいまも猛威をふるっています。社会的、経済的な危機はいまだに深刻な状態にあり、とくに貧しい人に大きな影響を及ぼしています。それにもかかわらず――とんでもないことですが――武力紛争と軍備拡張はとどまることを知りません。今、こんなことがあっていいはずがありません。

 復活祭のメッセージは、この複雑な現実を前にして、もしくはむしろそのただ中で、決して失われない希望をもたらす出来事を、この短いことばで伝えています。「イエスは十字架につけられ、復活されました。」天使でも幽霊でもなく、顔も名前もある生身の人間、イエスのことを伝えているのです。ご自分が神の子、キリストであると言われたために、ポンティオ・ピラトにより十字架刑に処せられたイエスが、聖書に従い、弟子たちに事前にお伝えになった通りに、三日目に復活されたと、福音は伝えています。

 十字架にかけられたかたが、まさに復活されました。御父はイエスを復活させました。イエスは、御父の救いのみ旨を完全に成し遂げ、わたしたちの弱さ、病、死さえも担い、わたしたちの痛みを身に受け、わたしたちの罪を担ってくださったからです。ですから、御父はイエスを高く上げ、イエス・キリストは今も永遠に生きておられます。イエスこそが主です。

 復活を目のあたりにした人々は、とりわけ重要な事実を伝えています。それは、イエスの手と足と脇腹には傷があったということです。それらの傷は、イエスのわたしたちへの愛の、いつまでも消えないしるしです。からだや心に過酷な試練を受け、苦しんでいる人は皆、これらの傷を逃れ場とし、決して失われない希望という恵みを受けることができます。

 復活されたキリストは、このパンデミックのために今も苦しんでいる人々、病者、そして最愛の人を亡くした人々の希望です。主が彼らをいやし、医師と看護師の働きを支えてくださいますように。すべての人、なかでもわたしたちの中でもっとも弱い人には助けが必要です。そして、だれもが必要なケアを受ける権利をもっています。皆がこのパンデミックと戦うことを余儀なくされ、ワクチンがその戦いに欠かせない手段となっている今日、このことはなお一層、明白です。「ワクチンを世界に行き渡らせる」という精神のもと、ワクチンの配布の遅れを解消し、とくに貧しい国における配布を促すために協力するよう、わたしは国際社会全体に求めます。

 十字架にかけられ、復活された主は、仕事を失った人や、経済的な苦境に陥っても社会から適切な保護を受けられない人の心の支えです。適切な生活水準を維持するのに必要な支援を、すべての人が、とくに困窮している家庭が受けられるよう、主が各国政府を動かしてくださいますように。悲しいことに、このパンデミックにより、貧しい人の数と、数えきれないほど多くの人の絶望が激増しています。

 「あらゆるかたちの貧しい人が、希望を取り戻せるようにしなければなりません。」聖ヨハネ・パウロ二世は、ハイチを訪問した際にこう述べました。ハイチの愛する人々が、困難に負けず、信念と希望をもって未来を見つめられるよう、わたしは今、思いと励ましを送ります。ハイチの兄弟姉妹の皆さん、わたしは皆さんのことをとくに心配しています。わたしは皆さんのすぐそばにいます。寄り添っています。そして皆さんの問題が抜本的に解決されるよう望みます。大切なハイチの兄弟姉妹の皆さん、わたしは皆さんのために祈ります。

 復活されたイエスは、長い間、学校にも大学にも行けず、友達にも会えない若者の皆さんの希望でもあります。バーチャルな人間関係だけでなく、直に人とかかわることは、だれにでも必要なことですが、人柄や性格が形成される時期にはなおのことです。先日の金曜日に行われた子どもたちの十字架の道行では、そのことを実感することができました。わたしは世界中の若者に寄り添います。そして今、ミャンマーで民主主義のために奮闘し、自分たちの声を平和的に届けようと努めている若者のとりわけ近くに寄り添います。愛だけが憎しみを一掃できることを彼らは知っているのです。

 復活されたイエスの光が、紛争や貧困のために逃れてきた移住者の再生の源となりますように。彼らの顔には、ゴルゴタの丘を上られる主の、苦しみでゆがんだ傷ついた顔を見いだすことができます。連帯と人類の兄弟愛の目に見えるしるし、死に対するいのちの勝利のあかしが、彼らに欠けることがありませんように。その勝利をわたしたちは今日、祝っているのです。苦しみのうちに避難先を探し求めている人を寛大に受け入れている国々に、とくにシリア内戦からの避難民を大勢受け入れているレバノンとヨルダンに感謝します。

 出会いと共存と多元主義の地となるという召命をもちながらも、困難で不安定な時を過ごしているレバノンの人々が、復活された主に慰められ、国際社会から支援を受けることができますように。

 わたしたちの平和であるキリストが、内戦により引き裂かれ、大勢の人が非人間的な生活を強いられている、愛するシリアの内戦に終止符を打ってくださいますように。また、人を押し黙らせるとんでもない静寂によって実情がもみ消されているイエメンと、十年にわたる血にまみれた対立や争いから脱する道をやっと見つけたリビアでも、争いを終結させてくださいますように。すべての当事者が、争いを終わらせ、紛争で疲弊しきった人々が平和に暮らし、自国で生活を立て直せるようにするために、具体的な措置をとりますように。

 主の復活は、わたしたちをおのずとエルサレムへと導きます。エルサレムに平和と平安がありますように(詩編122参照)。だれもが互いに兄弟姉妹と感じることのできる出会いの地となるという召命に、エルサレムが応えますように。また、イスラエルとパレスチナの人々が、持続的な和解に到達するために対話する力を取り戻し、両国が平和と繁栄のうちに隣国として共存できますように。

 この祭日にあたり、わたしの思いは、先月、喜びのうちに訪問したイラクに再び向かいます。人類家族が神のすべての子らをもてなし、受け入れるという神の夢が、イラクが平和への道を引き続きたどることによって実現されるよう祈ります1

 復活された主の力により、国内の暴力行為と国際テロにより未来が脅かされているアフリカの人々、とくにサヘル地域、ナイジェリア、エチオピアのティグレ地方、モザンビークのカボデルガド地方の人々が支えられますように。紛争を平和的に終結させるための営みが、和解と真の連帯の精神のうちに行われる前向きで兄弟愛に満ちた対話を通して、人権といのちの聖性に対する敬意をもって続けられますように。

 あまりに多くの戦争、あまりにも多くの暴力行為が世界中で今も行われています!わたしたちが争いに傾きがちな考え方を克服できるよう、平和の主が助けてくださいますように。捕虜となった人々、とくにウクライナ東部とナゴルノ・カラバフで捕らえられた人々を、主が無事に家族のもとに戻してくださいますように。また、最新の武器の開発競争に歯止めをかけるよう、世界中の指導者を促してくださいますように。今日、4月4日は国際地雷デーです。人の目を欺くこの恐ろしい武器は、大勢の無実の人を殺傷し、ときには障がいを負わせます。地雷は、人類が「破壊と死の脅威におびえずに、いのちの道をともに歩む」2のを阻んでいます。こうした死の武器がなければ、世界はどんなによくなることでしょう!

 兄弟姉妹の皆さん、今年もまた、さまざまな地域で、多くのキリスト者が厳しい制約のもとに復活祭を祝っています。ミサにあずかれないことすらあります。それらの制約と、世界における礼拝と宗教の自由に対する制約が解かれ、すべての人が自由に神に祈り、神をあがめられるよう祈りましょう。

 多くの困難の中にあっても、わたしたちはキリストの傷によっていやされていること(一ペトロ2・24参照)を忘れないでください。わたしたちの苦しみは、復活された主の光の中で変わっていきます。死のあったところに、今はいのちがあります。死を悼む悲しみのあったところに、今は慰めが満ちています。イエスは十字架を受け入れ、わたしたちの苦しみに意味を与えてくださいました。さあ、そのいやしの恵みが世界中に広まるよう祈りましょう。ご復活おめでとうございます。

  1. ^ 「諸宗教代表との集いでのスピーチ(2021年3月6日、ウル)」参照。
  2. ^ 聖ヨハネ・パウロ二世、「お告げの祈り」でのことば(1999年2月28日)。

よりhttps://www.cbcj.catholic.jp/2021/04/08/22384/ より

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