葦の髄から(2)
2014年1月18日
「絆」は2011年の漢字に選ばれた程、良い意味で人々の関係を表す語として使用され、今も続いています。でも、本来は 牛馬を繋ぎ止める綱ですから、強すぎると縛られ 義理・しがらみ ともなります。
31歳から私の転勤が始まりました。郷里はN県です。今の団地に住んで35年、50歳過ぎてのことですから、周りに若い時からの知り合いはいません。今は夫婦二人の生活です。
開発40年を超える団地です。知っている方の大方は、仙台の人ではありません。お互いの経歴を知らない、知る必要もない事は、関係がサラサラしていて気楽です。これが近代の知恵と言える面があります。
私の転居は8回、子供達は、その都度、幼稚園や学校を移っています。子供や孫の世代を見るとその傾向は益々強まっています。
彼らに「郷里は?」と聞いても、或る時の思い出はあっても、郷里と言えるものは無いかもしれません。家族、親戚だけでなく、地域社会の人間関係もサラサラして来ています。
私の亡くなった両親は、一生を一つの町で送っていますので、晩年は 少し寂しい思いをさせたかと 今も気に懸けています。
子供達の中学生位までは、子供のことも世相も分かっていた様に思います。40数年前のことです。高校に入ると、子供の交友が広がります。学校の授業内容を想像できませんでした。時代は、60年安保問題と70年時代です。
私達の知らない世界を子供達は生きていたのかもしれません。孫の世代になると益々解りません。彼らが 抱えていた問題や悩みも解っていなかったとも言えます。
ラインで繋がる子供達、身に着けるパソコン、2枚目の名刺で企業の枠を超えた起業等、
この1月に入ってからだけでも話題は沢山ありました。私達の世代は、今の延長線でも良いでしょうが、孫や曾孫の世代は、どんな世界を生きるのでしょうか。「温暖化で数億人移住必要 食料難 貧困拡大も 国連機関発表」の記事もありました。
1月9日、何となく点けたテレビ、「世界史 西ヨーロッパ世界の成立」。当然、キリスト教との関連で採り上げられていました。現在の教育を垣間見ました。
新しい福音宣教と家庭。次は、教皇の新年メッセージからです。「実に兄弟愛は、人間に不可欠の要素です。人間は 関係的な存在 だからです」。「グローバル化は 私達を 隣同士にはしても 兄弟にはしません」。問題の根は深い。息の長い取り組みであろうが、私に何が出来る?(GG)