葦の髄から(3)
2014年1月26日
先日の成人の日。新聞のコラムから一部を借用させて頂きます。
「有史以来の襷リレーが人の世にある。『今どきの若い者は……』という無限連鎖だ。」「明治時代には『青年』、戦後の高度成長期には『若者』。この二つに続く新しい『呼び名』を今の若い人たちに作って欲しい。」
そこには、20代自身の自画像も載っていました。「現実的」「幼い」「覇気がない」「身勝手」等。
TVでは、3連休の初日、土曜日に「若者達の未来を考える討論番組」がありました。
私は「アラフォー以下は、経済成長を知らない世代」と言った事がありましたが、その人達は「そんな大括りは出来ない。一人一人の境遇が余りにも違う。個性的でさえある」と思いました。若い人の次の言葉が心に残っています。
「私達が生まれた時は、今の世の中の仕組みが既に出来上がっていた」、「或る程度は満足出来る状態、何が何でも頑張る状態ではなかった」、「この状態や仕組みは、あなた方、先輩が作り上げたもの、その人達は、まだ現役で、世代交代は終わっていない」。
「言い得て妙」と言う言葉が若い人から出たが、思い出せません。世代間の理解は難しい。二世代間となると 困難 とさえ思うことがあります。
私達が過去を話すとき、経済、景気の移り変わりを基準とすることが間々ありますが、これ以外ないのでしょうか。昨日のA紙に時の流れを超えるコラムもありました。一部をお借りします。
「向田邦子さん。少女時代の2年間を過ごした鹿児島を『故郷もどき』と慕った人だった。」
どんな出会いがあったのでしょうか。今の世も「出会い」を大切にしたい。世代を超えて理解し、助け合いたい。「お大切に」と。「兄弟愛」を以て温かく。(GG)