カトリック北仙台教会

お知らせ

カトリック北仙台教会の催し物や信徒の皆様へのお知らせです。

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整理 何の?

2013年12月30日

例年通り今年も、典礼歴に合わせる様にして「カトリック新聞」1年分の整理を始めました。今年は「シノドス第13回通常総会」と「信仰年」がありました。50件を超える切り抜きとなりました。
その切り抜きから自分の信仰を振り返りたいと思いましたが巧く纏まりません。結局、シノドス報告に戻るしかありませんでした。切り抜きの整理ではなく、自分の信仰を問い直す事となりました。
心から離れなかった「新しい福音宣教」から申し上げたいと思います。「新しい福音宣教」は、私が考えていたよりも広く、深いことでした。
これから申し上げる事は「信仰として申し上げる私からの分かち合い」と受け止めて戴ければ幸いです。間違い、勘違い、誤解があると思います。省略のやり過ぎもあります。シノドス文書で補って下さいます様にお願いします。
でも、何よりも確かなのは、これから司牧を通して示されるお導きだと思います。昏い者ですが、それに希望を託し、これからも神の民として旅を続けたい と改めて思っています。
「新しい福音宣教は、教会の根本的使命、アイデンティティ、存在理由をあらためて実践しようとする教会の計画に付けられた呼び名です。」
これが、シノドス文書の最終的な表現でした。とても今までの思考と結びつきません。その途中経過をシノドス文書から次の様に拾いました。
◆すべての人々に福音を宣べ伝える事が教会の第一且つ本来の使命です。…。教会は将に福音を宣べ伝える為に存在しています。
◆教皇ヨハネ・パウロ二世が、1979年に「新しい福音宣教」という言葉を初めて用いられました。しかしそれは、長い間、概念であり、意味する処は必ずしも明確でありませんでした。
2012年10月、第13回シノドスが「キリスト教信仰を伝える為の新しい福音宣教」というテーマで開催される迄の30余年間に,その言葉に 新たな命が 注ぎ込まれました。
◆福音宣教の第一段階は、神の探求を生き生きと保ち、対話を行い続ける事です。それも、宗教を告白する人だけで無く、宗教が生活の中で重要で無いと考える人々とも対話し続ける事です。
◆「新しい福音宣教」は、今迄の宣教を繰り返す事ではありません。不適切な仕方で行った事、或は目的を達成できなかった事をやり直す事ではありません。
◆むしろそれは、変化する状況に応える為に 勇気を以て新たな道を歩む事です。新たな熱意と方法と表現を以て、新しい福音宣教を行う事です。既にキリストが告げ知らされている人々への福音宣教に就いても言える事です。(この項続きます。)(GG)

1月のチャリティカフェ

2013年12月29日

1月のチャリティカフェの開催日は、以下の通りです。
従前どおり午後1時から午後3時まで、信徒館ホールで開催しています。
皆さんのチャリティは、東日本大震災被災者のために使われます。

開催日
7日(火)~11日(土)、 14日(火)~17日(土)
21日(火)~24日(土)、28日(火)~31日(土)

緊迫感!!

2013年12月29日

◆「例えば、現代ドイツの釈義の所謂『主流派』は、主が聖体を制定したことを否定します。そして、イエスの亡骸は墓に置かれたままだと言います。復活は歴史的な出来事ではなく、神学的なものの見方に過ぎなくなります。これは信仰の釈義学がない為に生じたことです。」
◆「西洋でも新しい福音宣教を行うべき時が来ています。洗礼を受けた多くの人が 非キリスト教的生活を送り、信仰と関わりを持ち続けてはいても、信仰について余り知らない人が増えてきています。…宗教的無関心、世俗主義、無神論によって…。特に、第一世界と呼ばれているこれらの国や国民は、例え恐ろしい状態の貧しさや悲惨と共存していても、経済的充足と消費主義の中で、『まるで神が存在しないかの様に』暮らす生活を促し、広めています。」
◆「残念ながら、こうした教会離れの現象は、最近の数世紀の間に福音宣教が行われた一部の国にも、程度の差はあれ、存在します。これらの国々は、現代、個人・家庭・社会をキリスト教的に変容させるほどには福音を十分受け入れてはいないのです。」
◆「信仰は現代文化の中で曖昧なものとなっています。また、洗礼を受けた多くの人の信仰が弱まっています。信仰を活性化させなければなりません。」
◆「教会は現代人のところに行き、主を目の前に示さなければなりません。」
◆「新しい福音宣教は、教会の根本的使命、アイデンティティ、存在理由を改めて実践しようとする教会の計画に付けられた呼び名です。」
「シノドス第12・13回報告」からの引用ですが、ローマの緊迫感が伝わってきます。他人事ではありませんでした。私もそのうちの一人なのです。胸にぐさりと来ました。
改めて、前教皇ベネディクト16世と 教皇フランシスコの「信仰年に関する連続講話」等を読み直しました。現代との対話に向けて、道が見える様に導いていて下さいました。(GG)

今、何処?

2013年12月13日

最近、カトリック新聞に 注意を引いた記事がありました。
それは、10月13日の記事で、教皇と枢機卿評議会が「教皇庁の役割は、普遍教会と地方教会への奉仕である」ことを明確にし、教皇庁の全面的な改革に向けて準備していると報じていました。
もう一つは、教皇に対するイエズス会司祭のインタビュー記事で、10月6日と13日に掲載されたものです。それぞれの見出しは「議論と諮問を重んじる教会統治の姿勢転換」「倫理に重点を置きすぎると福音のメッセージ曖昧に」です。

ここ何年かの記事等で 何らかの動きがあるだろうとは思っていましたが、教会統治の姿勢、教皇庁の在り方まで踏み込んだものになるとは思ってもいませんでした。
また、教皇のインタビュー記事からは、「これからの新しい福音宣教」の方向を垣間見る思いがしました。

私が思案している内に、現代との対話に向けて、ローマでは既に行動されていたのです。第二バチカン公会議以前から胎動していた改革の動きが、確かな識別の下で、よりはっきりした形で姿を現そうとしていると思います。
私が、激動する歴史を生きていることは確かです。今、改めて自分の立ち位置を確認しながら、神の民の一人として、懸命に旅を続けてゆきたい。覚悟のほどが問われていると思っています。(GG)

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