仙台キリシタン殉教祭
2013年2月25日
今から389年前の1624年2月、ポルトガル人の宣教師カルヴァリヨ神父と8人の信徒が、仙台市内の広瀬川河畔で殉教した。
当時、徳川幕府のキリシタン禁教令により全国でキリシタンに対する迫害が行われていたが、その迫害にもめげず宣教師は潜行して布教活動を行い、信徒は密かに信仰を守り続けていた。17世紀初めには全国で50万を超えるキリスト教徒が存在したことがわかっているが、1638年の天草の乱をピークに17世紀半ばには、ほとんど根絶やしにされている。ただし、長崎・五島周辺では幕末のキリスト教再宣教まで信仰をまもり続けたかくれキリシタンの存在がよく知られている。
仙台藩によって捕えられたカルヴァリヨ神父と信徒8人は、広瀬川にかかる大橋下の水牢といわれる池の冷水に沈められて、棄教を迫られた。しかし、9人は、毅然として信仰を守り通し落命した。
この殉教は捕縛を免れた信徒の証言として記録に残り、今私たちに伝えられている。
大橋に臨む広瀬川河畔の西公園にはカルヴァリヨ神父と2人の信徒の銅像が建てられているが、仙台周辺8教会の信徒は例年2月の第4日曜日に、その銅像の下で彼らの信仰を称えその死を悼む殉教祭を行っている。
昨日、雪の降りしきる中その殉教祭が行われたが、想像を絶する拷問の辛さは形を変えて私たちを試しているのではないだろうか。(GON)