カトリック北仙台教会

お知らせ

カトリック北仙台教会の催し物や信徒の皆様へのお知らせです。

インフォメーション

復活の力を以て、復興へ!

2012年4月8日

 復活を祝う私たちはこの喜びを味わいながら、復興を目指している被災者の方々への思いも一緒に抱いています。
 信じる人にとっては、復活は救いの現われです。去年、仙台教区と共に、壊滅的な破壊の中で、主イエスの復活により生まれた新しい創造を宣言しました。
 積極的に、私たちはこの創造の完成に向けて歩みます。今、皆、東日本大震災を乗り越えようとしている人々に合わせて、力強く、そして1日も早くと、復興の荷を整えています。
 それは、東北に住む者としてだけではなく、主イエスの死と復活から与えられた信仰と希望を持っている者としての務めです。
 神様は、災いをもたらす神ではなく、私達と共に働いて、皆の救いを求めている神です。
 私たちに困難を乗り越える力を与えてくださいます。困っている人への正しい言葉や態度を教えてくださる神です。皆の心に愛の力を注いでくださる方です。この神の姿は、主イエスの死と復活の出来事によって明らかにされました。
 信じる者である私たちは、一般の人のように非常に無力に感じますが、この時こそ、神の救いの力に委ねます。
 大震災のすぐ後にも、皆共に、支え合い、助け合い、励ましあって、お互いに力を合わせたら、この危機から救われるという確信を現してきました。しかし、1年経って、この素晴らしい精神はどうなったでしょうか。今でも、この気持ちを持ち続けているでしょうか。この絆は、残念ながら、弱まってきたと思われています。例えば、ガレキの処理について協力する態勢が欠けていること、福島県の産物に対して過剰な反応が見られること、福島県から出た人々を自分の地域の中に受け入れることを良しとしないこと等々・・・・・。
 または、同じ地域に住んでいる人々の間にも、被災者と被害を受けなかった人々の間で摩擦が見られます。
 そういうような社会に置かれている私たちにとって、この絆は一時的な気持ちではなく、主の復活の出来事に根付いていますので、何者にも断ち切られることはないでしょう。
 皆重要であり大切であると信じている私たちは、いつも、震災の時から現れた価値観を想い起こさせる務めを持っていると想います。信仰の共同体や周りの人々との関係の中から生かすはずです。これによって復活の光を輝かす者になります。

 新しい絆、新しい創造、神と共に・・・・
 これからも復活の力を以って、復興へ !
                           ラトゥール神父

思考停止

2012年4月7日

「…の筈です」は、厳しく、逃げ場がない。「二者択一」は、その他が無く、息苦しい。「あれもあり、これもあり」では、何もない。
虹は七色、 もっと多いから綺麗。選ぶ余地がある。豊か。何か選びたい。これが私の気分。

現在も耳にする「経済封鎖」は、戦前の苦い思い出と重なる。どちらにも、それぞれの正義・大義がある。引くに引けない。「是非もな
いこと」ながら「正邪をつける」ことにならなければ良いが。考えさせられる。

少し前のことだが、1月11日の新聞で、潮田 道夫氏の文から、面白く、有益な記事を見つけた。(以下は、孫引きの様)

 本当は「低速思考」でじっくり考えればいいのだが、脳も効率化を優先する。「直感」や「経験知」で近道ができるから「高速思考」
に委ねてしまう。
 これは素早く考えるというものでなく、思考回避であって、人間の本質的な要素であり、長い進化を遂げてきた脳が持つ、避けがたい
副作用」だそうだ。

 「高速思考・低速思考・直感・経験知・知的思考・脳の持つ副作用・思考回避」は心に留め置きたい言葉だと思った。
 「思い込み」も思考回避に入るのだろうが、「想定外」はどうだろう。巨大地震を予測できなかった地震学は、研究が始まって未だ
50年だという。「そこまで知らなかった」事と「その先を考えなかった」事とは違うのだろう。この度の経験から、地震学会も地質や
考古分野と協働する事によって目が開かれたとも。
 時流に敢えて疑問を!。躊躇いは常にある。でも、進む為に、心だけは、若く、柔らかにしていたい。(GG)

北仙台教会ボランティア交流会開かれる(2月5日)

2012年3月9日

震災を契機に、北仙台教会ではボランティア活動として、仮設住宅への「出前カフェ」、また信徒館を開放しての「チャリティカフェ」が継続して行われています。また、個別にボランテァ活動をしている信徒もいる中、互いの認識を深めるために交流会が開かれました。ボランテァ活動に興味を持っている人等も加わり、参加者は20名と関心の高さがうかがえました。

避難所から始めたコーヒーサービスは今では仮設住宅への「出前カフェ」として行われており、信徒による散髪サービスも開始した様子や、毎日開かれている「チャリティカフェ」は少しずつ地域の憩いの場としても定着してきたことなどが報告されました。個別の活動としては、大槌ベースにおいてボランテァをしている人のための食事作りをしている(Sさん)、他教会から送られてくる支援物資の配布作業をしている(Mさん)、仮設入居者のための帽子・マフラー作成をしている(Sさん)等の話を参加者は熱心に聴きあいました。

 *以下は「チャリティカフェ・出前カフェ・ニュース」(2012/1/15発行)より
 「はじめて仮設住宅の集会所にお邪魔した時には、皆様に受け入れていただけるか、とても不安でしたが何度もお邪魔して顔見知りとなり、少しだけですが気心も知れてくると色々な話もでき、困っていることや、喜んでいることも少しずつ話してくださるようになりました。週一回の訪問で出来ることは限られていますが、少しの時間でも笑いながらお茶を楽しんでいただける時を作れるように・・・皆が集まれる場所を作れるように・・・と願って伺っています。これからどの位の年月になるか分かりませんが仮設の皆様に寄り添いながら共に復興に向けて進むことが出来ればと思うこの頃です。そして、多くの支援を続けてくださっている渋谷教会をはじめ沢山の方々の想いと共に神様の道具となれますように祈りながら進みたいと思っております。」 (Mさん)

思考停止考 2

2012年2月15日

先日の由紀さおりさん 出演のトーク番組から

ジャズアルバム「1969」をリリース。これが海外で高く評価され、大ブレーク中。「その中には、日本語そのままで歌っているものもあるが、音楽の伝える力に感銘を受けた」と語っておられた。断片的であるが、次の言葉も耳に残った。

「舞台で、直接触れるお客様の反応が堪らなく好き」
「歌謡曲は、自分の原点であり、それが持つ魅力をこれからも歌い続けたい」
「テレビは、聴視者に映像が強く残り、言葉が残らないのが残念」
「詩の裏にあるもの、行間にあるものを感じ取って欲しい」
「歌謡曲を見直して欲しいという自分の願望は、分不相応?という恐れと怯む心があるが、それでも続けたい」

そこで流れた姉・安田祥子さんとの合唱・「ちいさな秋見つけた」に刺激され、インターネットで歌詞とその「解釈」を見た。詩は得意な分野ではないが、不思議なことに「解釈」を読んで、「作詞家サトウ八ロー・小さい秋みつけた・ そこに遷ろう何か・日本のこころを歌い続けたい」という由紀さんの思いを改めて深く感じた。

由紀さんの飾らない明るい人柄と詩との出会いで、明るい気分になった。思考停止を乗り越える為の何かがあると思った。感謝!

日本二十六聖人殉教記念日

2012年2月6日

2月5日は日本二十六聖人殉教の記念日でした。1597年1月、京都で捕えられた24人と一向に付き添い、途中で捕えられた2人を加えた26名は京都から長崎へ向かいました。1月と言えば寒さも厳しい季節。着るものも履物もきっと十分ではなかったことでしょう。しかも、耳を削がれての、京都から長崎への道のりはさぞつらかったことでしょう。
その一行の中には長崎のアントニオ13歳、トマス小崎14歳、そしてルドビコ茨木12歳と、小さな子供も加えられていたことに、心痛みます。

数年前、私は長崎、西坂公園での日本二十六聖人殉教記念ミサに与りました。当時は2月5日の夕方からのミサで、小雪が舞う中のミサでした。防寒をしていても寒さの中、殉教者たちの苦しみを思い、その苦しみを喜びへと変えていく信仰の強さを思い、では、自分の信仰はどうなのか・・と自分に問いかけました。

些細なことに躓き、折れそうになるような、弱い私は、彼らの強い信仰心を思うといつも恥ずかしい思いにかられます。
四旬節を前にしたこの季節、二十六聖人の殉教は、自分の信仰を改めて見つめる時間を与えてくれるのです。 (Charlotte)

1 7 8 9 10

pagetop