カトリック北仙台教会

お知らせ

カトリック北仙台教会の催し物や信徒の皆様へのお知らせです。

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教会の使命のための祈り

2012年5月20日

5月、6月は子供の日、母の日、父の日と家族の祝日が続きますね。

家族のため、また、大きな家族である周りの人々のために祈ります。

これは教会の使命のための祈りでもあります。

恵み豊かな神よ

あなたはすべてのものを 愛のためにお造りになりました

あなたは私たちのお父さん、私たちは皆あなたの子です

イエス・キリストを通して、無償の愛を知った私たちが

まず、もっとも身近な人、特に家族を愛することができるよう

知恵と力を与えてください

また、傷つき苦しむ人々とともに

キリストの愛と平和、喜びと希望を分かち合うことができるよう

私たちを導いてください

あなたの協力者としてください

私たちの主イエス・キリストによって。アーメン

(MM)

間合い

2012年5月9日

4月27日(金)夜、教育テレビで これ何?と思って「Nコン 歌う顔と姿勢」にチャンネルを合わせた。
 歌うことには縁がないと思っていた私には、これが思いがけない拾い物。何十年も前に「こんな指導者に出会っていたら、私も今よりまし?」と思った程でした。

 それは「第79回NHK全国学校音楽コンクール」の「課題曲発表」に向けての練習風景を録画、12回に分けて放映する番組の第4回目でした。放映は、今年、初めての試みだという。

 安定した立ち方、力の抜けた上半身の作り方、声が綺麗に響く取って置きの顔と口の作り方、舞台での並び方等が、分かり易く、熱く語られていた。その指導に、NHK東京児童合唱団のメンバーが的確に反応し、合唱が作り上げられていく様子が手に取る様に解った。10分間の短い番組だったが、大満足でした。

 佳いものが作られていく為には、的確な手法が必要。しかし、これは単なる「手法」ではない。合唱指導の武田雅博さんが、研鑽を重ねられた結果、身に付けた確かなものを 分かち合って下さっているのだと 敬意を以て観た次第です。

 感じたことがもう一つ。隣の人との間隔。
 「両肘を張って、お互いの肘がぶっつからない位が適当。」「これより近いと 隣の人の声が強くはいる。反対に遠いと 自分の声だけが聞こえる。」「2列目の人は前の二人の間に立つ。3列目も同じようにする。」「1列目、2列目の人は振り返ってご覧。そこに合唱のパートナーがいるよ。」

 武田さんの次の思いと共に、何か、この世に於ける教訓とさえも感じました。
 「みんなで一つの曲を仕上げていって、みんなの気持ちが一つになった瞬間とか、声が一つになった瞬間とか、そう言うことを子供たちなりに体験すると言うことも、本当に得難いことだと思います。すてきな大人になってもらいたいと僕は思います」(GG)

(註)
1、4/27は、小学校の部「希望のひかり」(同性2部)・仙台市出身の遊佐未森さんの作詞・合唱指導、武田雅博さんでした。
2、放映は継続中・再放送もあります。インターネット検索で「Nコン2012」→「Nコン12番組情報」から入ると、動画も含めた有益な情報に出会えます。

慈しみの泉

2012年4月26日

復活節第二主日(今年は4月15日)は「神のいつくしみの主日」でした。この祝日は教皇ヨハネ・パウロ2世によって定められましたが、彼が列聖した聖マリア・ファスティナの促しによるものでした。聖ファスティナは20世紀初頭に生きたポーランド人修道女で預言者ですが、彼女が伝えた神の慈しみのメッセージを同教皇は「現代のための神の贈物」と述べています。

イエスは彼女に直接言われます。
「わたしの慈しみの泉に近づく人びとの上にわたしはあふれる恵みを注ぐ。(・・・)その罪が緋のようであろうと、わたしに近づくことを誰も恐れないように」
(「わたしの霊魂における神のいつくしみ~聖ファスティナの日記」699 聖母の騎士社刊)

この「日記」の日本語版発行に関して、神の慈しみの聖母修道女会 シスター・マリア・エルジビエタ・シェパクは
「この偉大なメッセージは、神の慈しみの愛のすべての美しさと豊かさのままに桜の花咲くお国にも到着し、人々の心を希望と平和で満ち溢れさせ、この喜ばしい真理を世界に宣べ伝えるために心を燃え立たせるでしょう」と結んでいます。 (M・M)

与と求と

2012年4月22日

3月28日、NHK「検索deゴー!」を見た。内容は嘗ての「世界遺産」に追加取材を加えて、場所を問わず、或るテーマの下で再編集したもの。昨年から始まっていた様だが、見ていなかった。

綺麗な番組。しかも解説付きで、3名のゲストの推薦口上等も加わり、1時間15分は退屈しなかった。何ヶ国,何ヶ所回ったのだろうか。終わってみると「綺麗だった」という感じだけが残っていた。

番組が歴史や神話に触れたからであろうか、昨年買った「ギリシャ神話」を思い出した。書棚に確かに在った(NHKラジオ番組テキスト)。しかも債務超過問題に絡んで、ギリシャを論じた新聞の切り抜きが7枚も挟み込んであった。
隣にもう1冊在った。阿刀田高氏の「私のギリシャ神話」(NHK/TV・人間講座テキスト・1999/4~6)。冒頭に「ギリシャ神話の楽しさ」とあるが、付いて行けなかったのだろう。4冊あるテキストのうち1冊で終わっている。

前者のラジオ番組は聞いていない。「疎い分野だから、聞いて解るものでない」と最初から諦め、テキストだけを読んだものだった。これは、よく陥る私の思考停止の一つ。テキストは、西洋古典学者・逸身喜一郎東大名誉教授が、ルネッサンス・バロック絵画を解き明かして呉れている。とても興味深く読んだ。

 両者とも、ギリシャ神話が、今も大きな影響を与え続けていることを強調している。納得できた。
 余計なことまで考えた。「与えられる事と探し求める事」の違いは大きい。自分は、探し求める旅を 何時まで続けることが出来るのだろうか?娘から声がありそうだ。「もう限界じゃない!」(GG)

映画 神々と男たち

2012年4月20日

昨年、絆という言葉のうちに人と人とのつながりの大切さを再認識したが、この映画も絆をテーマの1つとしたものだ。
宗教を超えた絆、かつての支配国民と被支配国民という関係を超えた絆を、この映画は描いている。
「神々と男たち」は、2010年に、実話を基に制作・公開されたフランス映画。
時代は1990年代、アルジェリアのある寒村のトラピスト修道院のフランス人修道士達の物語。
トラピスト修道会といえば、日本ではクッキーやバターでお馴染みだが、厳しい労働と祈りのうちに質素な修道生活を送っていることで知られている
映画の主人公となったアルジェリアの修道士達も畑を耕し、村人たちを医療で助け、静かな祈りの生活を送っていた。
いうまでもなくアルジェリアはイスラムの国、村人たちはイスラム教徒だ。しかも、アルジェリアはかってフランスに支配され、武力で独立を勝ち取っている。
しかし、修道院には、毎日、治療を受けるため大勢の村人達が詰めかけ、修道士達に信頼を寄せていた。修道士たちも、同じ神の民として村人に接し、村人たちを信頼していた。
今日、キリスト教とイスラム教は対立的な関係にあると理解されがちだが、歴史的には平和に共存してきた時代の方が長い。かつてのパレスチナも、こんなだったのではないかと思う。
さて、ある日、アルジェリア政府に反対する武装グループが村に押し入り、修道院を襲おうとする。同じ時期に彼らは外国人労働者を殺害しており、修道士たちは動揺する。さらにアルジェリア国軍が、修道院が反政府派に加担しているのではないかと疑い、圧力をかける。ある修道士は死ぬために修道士になったのではないといいフランスに帰国することを主張し、またある修道士は残って勤めを果たすべきだと主張する。修道士たちは、何回も話し合い、祈り、最終的に、神が求めることとして村に残り村人と共にあることを決意する。
映画は、修道士達の日常を淡々と描写しながら、彼らの決意を静かに伝えている。
結局、修道院は襲われ7名の修道士達が拉致され殺害される。2名の修道士が隠れて助かり、現在もフランスで存命。
拉致、殺害の首謀者は、反政府派ともアルジェリア国軍ともいわれ、真相は未だに不明だ。
ともあれ、命の危険を冒した修道士たちの決意はまさに彼らの信仰を証したものに他ならず、このことに深い感動を覚えるとともに私たちの「絆」の内実を問われたような気がした。(GON)

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