残すべきか、残さざるべきか
2012年9月23日
あの震災から1年半が過ぎた。
今日はお彼岸、TVは各局、被災地での墓参りの様子報じていた。被災直後に比べれば日常生活はよくなりつつあるものの、未だ悲しみや不安は人々の心から去ることはない。
さて、最近、被災地の被災建物を残すか否で議論がかますびしい。
復興事業が進むにつれ被災建物の取り壊しが進んで、津波があったことがウソのようにただ広々とした空き地が広がっている光景がどこでも見られる。
春の彼岸に女川を訪れた際あった岸壁前のマリンパル女川のビルや七十七銀行の支店、町役場は、今は取り壊されて見ることはできない。
もっとも、倒壊した3棟のビルはそのままで、津波被害の遺構として残すそうだ。小高い丘の上の旧町立病院から眼下の町を見下ろすと、横倒しになったビルがなければ、この町立病院の1階まで津波が襲ったなんて想像もできないほど広々とした空き地とその前の静かな青い海を臨むことができる。
瓦礫の撤去が遅れていた南三陸町でも、被災建物の撤去が進み、海に臨むかつての市街地はほぼ空き地と化している。志津川病院も取り壊されている。
廃墟と化した病院の前を通るたび、あの晩ラジオで南三陸町は壊滅状態で病院の3階まで津波に襲われ屋上で助けを求めている状況が報ぜられても、街中が海水に呑み込まれていることがリアルに思えなかったことを思い出したが、今は空き地だ。
その、志津川で唯一津波を思い起こさせるのが、鉄骨だけとなった3階建ての防災庁舎だ。
鉄骨だけの庁舎の前に立って屋上を見上げると、津波の凄まじさが実感できる。
この庁舎で20数名の町職員の方が犠牲となられたが、今は、この地を訪れる人々の祈りの場となり、沢山の供え物が置かれている。
庁舎は来月末までに取り壊すことになっているが、ここにきて遺族の方からも拙速に取り壊さないでほしいという要望が出された。
勿論、早く取り壊して欲しいという遺族の方々もおり、役場は難しい判断を迫られている。
山田町では建物の屋根に打ち上げられた観光船を、石巻市雄勝ではビルの屋上に乗った大型バスを残そうという声があったが、いずれも被災者の感情を慮って撤去され建物は解体された。
しかし、そこで起こったことを目に見える形で残すことを、今一度考えるべきではないだろうか。(GON)