カトリック北仙台教会

お知らせ

カトリック北仙台教会の催し物や信徒の皆様へのお知らせです。

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お金

2012年8月31日

 月給もボーナスも現生であったが、何十年も前に 口座振り込みに変わった。今は、年金が 偶数月に 銀行口座に振り込まれてくる。
 公共料金、新聞代、カード払い分等が定期的に そこから引き落とされる。現金支払いの範囲は狭くなっている。キャッシュレスの傾向が強まり、進んだ人は、コンビニの支払いもカードで済ませている。
 お金は、最初は見えるものであったが、今は見えないものになり、預金残高(数字)の管理に気を遣う時代になっている。

 給料の原型は、6.200年前、シリア北東部の最も古い遺跡都市 テル・ブラクの出土品から見つかっている。それは、丼程の大きさで、それに麦かパンを入れて労働者に渡されたと言う。サラリーマンは、分業の始まりで、都市化が進展することになった。
 対面・物々交換の時代 そして 貝殻・毛皮等の原始通貨時代を経て、貨幣経済に移って、便利さの故に 交易は飛躍的に拡大した。その通貨・コインの登場は、2.550年前頃、古代ギリシャの都市国家アテナイに於いてであると言う。(この項は、Nスペ「ヒューマン」を参考にしました。)

 どの時代も それが成り立つ為には 信用・信頼が大切だ。アテナイコインにも真偽を確かめる為に それを切って中身を調べたものがあるという。江戸時代の金貨にも 幕府の懐具合によって混ぜ物で 価値を薄めた物がある。紙幣は 兌換券の機能を持っていたが、今は無い。国民の信用の上に成り立っているのだ。

 信用・信頼が成り立つ為には、人の「誠実さ」が必須要件だ。

 価値観が多様化した。儲ける手段も多様化した。お金が数字化したことによって、金利差を求めて国際的に大きなお金が動く時代になった。私達の年金積立金だって 投機マネーの一部になっている。

「親の背中が見えなくなった」とは別な意味で 「お金も見えなくなった」ことの影響は大きい。

 欧州で、複数の銀行による 国際的な金利操作の不祥事が 起きている。仕組みが解れば、操作も可能だ。利害が複雑に絡んで知る。情報もお金になる時代だ。

 地に足のついた誠実さで生きたい。(GG)

私の聖ドミニコ

2012年8月8日

8月5日 北仙台教会では、守護聖人聖ドミニコを祝いました。私たちには身近な聖人ですが、今回はさらに、この聖人がぐ~んと近づいてきました。

ミサ後、信徒館で「私の聖ドミニコ」をテーマとして、主任司祭ラトゥール神父から 聖ドミニコの4つの特徴①祈る聖ドミニコ②対話する聖ドミニコ③喜ぶ聖ドミニコ④宣教する聖ドミニコについて説明がありました。「このテーマは聖人と自分が友人であることを意識して選んだ。ドミニコの生活は祈りに支えられていた。夜中も大声で祈った。とりなしの祈りをした。苦しむ人、悲しむ人に大きな愛を抱いて接した。清貧のうちに深い喜びがあった。厳しい環境の中で宣教した。現代に最もふさわしい聖人である。」

その後、この4つの特徴の中で、自分が最も身近に感じられるところのグループに分かれて話し合いをしました。各グループの発表から。

①祈る・グループ

○仕事が厳しく祈りが支え。○祈りがなくなれば、信仰もなくなる。○せめて15分は祈りたい。

②対話する・グループ

○震災後、信徒同士の接触の機会が増えた。○他の教会では、初めてミサに来た人のための受付があり、サポートする人がいる。

③喜ぶ・グループ

○ドミニコの謙遜な態度、明るさが印象的だ。○神様が共にいて常につながっているとの思いがあり、何があっても大丈夫と思う。

④宣教する・グループ
○ある神父から示された「すべての人が聖なるものである」という考え方で、自分と周囲の人々との柵が取り除かれた。○聖ドミニコもそのような思いをもって宣教していたのではないだろうか。

聖ドミニコは多くなってきた会員たちに「麦の種は積んでおくだけでは腐ってしまう。播かれると実を結ぶ。」と言い、彼らはすぐに各地へ宣教に出かけました。私たちも頂いている恵みを分かち合わなければ、宝の持ち腐れになるかもしれませんね。

(典礼奉仕部)

親の背中

2012年8月2日

 4年前、子供の頃住んでいた場所を訪ねた。

 昭和10年頃、そこは40軒程の町内で、その殆どは、お店か 手に職を持つ人の仕事場であった。お店として今も残っていたのは、コンビニになった米屋、竹屋、床屋の3軒だけで、空き地になったところも数軒あった。

 私が住んでいた家は建て替えられていた。何方が住んでおられるかは知らない。表札を見るのは憚られた。
 空き地となった何軒かは 昔の住人を知っている。後継者がサラリーマンとなって、別な都市に住んでおられる。私も其処を離れた一人だ。

 昔は、お家が職場であり、生活の場であった。そこで仕事を習い覚え、多くの方は、その侭 家業を引き継いだ。生き様を 見様見真似で学んだ。お客との関係,世の付き合いも 其処で身に付けた。

親の背中を見て子は育つ」は当時のこと。今は聞かない。「働く親の姿」は見えなくなっている。土日・祭日でも家族との時間が取れない人が増えている

 孫達の世代は、テレビやスマホの存在を無視できない。大学進学と同時に親元を離れている。ゼミの影響は大きい。

 サラリーマンだった私の子供達は どうだろう。倅は言わないが、娘の口から遠慮のない言葉が出ることがある。それは、私も口に出さなかったが、ある時は反面教師として親を見ていた事と通じるものがあり、案外健全な関係だと思っている。

 「変わる1秒の重み」…7月5日(水)、「クローズアップ現代」のテーマ。極限を求め続ける世界。それとは全く別な世界がもう一つある。その世界をこそ誠実に生きたい。孫にも曾孫にも伝えたい、感じ取って貰いたい。

 余談で恐縮ですが、先月 曾孫が誕生しました。可愛い女の子です。(GG)

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