私の就職は、昭和22年7月。その会社にとって、戦後 これが初の採用試験だったと言う。時世を反映して、労組の執行委員も面接の側に居られた。今では 試験採用が常識だが、古くは、縁故、見習い、試用、弟子入り、養成所入所などが、身近にあった就職の入り口であった。
孫の女性3人の就職、働き方にもそれぞれ個性があった。
A子は、大学看護学科を出て看護師。東京で幾つかの病院を見て回って、就職。有名病院でもマイナス評価を付けたところもあった。何を思ったか2年で退職。語学留学。大震災の為、1年余りで帰国。今は、県内の被災地で訪問看護などで動き回っている。母の仕事を見て、福祉関係に関わりたいとの思いで看護師の道へ進んだと承知している。
B子は、専門学校卒業の美容師。「働く場所は東京」と卒業を前にインターネットで検索。直接訪問して、自分の判断で決めている。数回上京している。好きな道なので 彼女が選ぶ基準も厳しかった。出会いがあり、昨年、結婚した。
C子は、女子美を出た絵描き。絵だけでは生活が成り立たないので、兎に角就職したかった。就職後も自分の時間が欲しい。今は、みなとみらい駅近くの或る売り場に立っている。美術の刺激に触れられる東京から離れたくないと言う思いが強い。昨年は、被災地ボランティアで、お店のシャッターに絵を描いた。
家族のことを具体的に触れるとなると、筆が進まない。もう何日もかかっている。5月末、この原稿の続きを書いている途中に新しい展開があった。
就職留年の孫(男)から「就職、内々定」のメール。10月になると「内定」に変わると言う。「学業と採用時期」の微妙な変遷が見て取れる。折り返し電話したら、明るく張りのある声が返ってきた。一安心!。
また、もう一人の女子大学生が、新聞のインタビューを受けて、記事になったとの知らせが入った。極めて現代的な問題に関わるプロジェクト。既にこの世と関わっている。進みたい道がある様だが、未だ3年生。これからだ。
6月に入って、就職活動に苦労している大学生の姿を 今年もテレビが報じている。世界の同時不況が心配され、失業率の高さ、しかも若者のそれが問題となっている。世の中を不安定にし、心までギクシャクさせている要因の一つが就職難である事は間違いない。
前回は、結婚を、今回は、就職と孫達の生き方を振り返ってみた。文字にしてみると、自分でも驚く程 時代の変遷を感じる。グローバル化した昨今の変化は更に激しい。「就職」もさることながら「働き続ける」ことにも幾多の困難が姿を現している。