カトリック北仙台教会

お知らせ

カトリック北仙台教会の催し物や信徒の皆様へのお知らせです。

インフォメーション

切り抜き

2012年12月16日

 今週初めから 新聞の切り抜きを止めよう と 決めていました。所が 今日、12月12日(水) 毎日と河北から それぞれ一つずつ 切り抜く羽目になりました。

 一つは、田中均氏の「世界の鼓動・衆院選 国民の審判は」。
 心に響いたのは「官僚はプロフェッショナルに徹し、政治家は判断し、責任をとるということである」でありました。内外の情勢分析にも 確かなものを感じました。

 二つ目は、山中教授のノーベル賞授与に関しての記事 「感動 そして 新たな始まり」。
 晩餐会後 「楽しいあっという間の一日だった。私にとって ノーベル賞は過去形 になる」と話されました。色紙に書かれたのが「初心」で、これからのご決意の程を知らされました。

 ここに挙げた言葉は 象徴的なもので、記事の概要を思い浮かべる手掛かりになります。切り抜きが在れば より確かなものになります。それが 切り抜きする動機 でありましたが、最近は、それを整理することが難儀
になってきました。これが 止めると決めた ことに繋がりました。
 今日のことは、過渡的な事とし、この一文を書くことで区切りを付けたい と改めて思います。

 多くの分野のファイルが貯まっています。これから これを全部捨てるつもり で整理に掛かります。でも、心の片隅では「十分の一に出来れば成功」という小さな声もあります。その「十分の一」に残る程、時を超えて価値あるものが在って欲しいとも思います。

 
 捨てるにしても 「今日も 新たな心で 現在を 生きたい」 は捨てない様にと思っています。(GG) 

組立図

2012年12月2日

 ハンガーラックを二つ、別々の通販から買った。この種の組み立ては 得意な方であったが、今回は、そうは行かなかった。

 その一。「組み立て説明書」を読んでも 仕上がりの形が掴めない。
 説明書に従って手を着けたが、何処の何を遣っているのか解らない。 出来上がってみれば、何のことはない。今までのものに比べて、頑丈なだけ 部品が多く、細かい説明がなされていたのだ。
 全体像が理解できない作業は、途中 自信が持てない。疲れる。

 その二。布の覆いがあるロッカー型。準備段階で、同じ絵柄の部品を二つ作る。一つは棚として使うのは直ぐ解った。もう一つが解らない。
 遂に電話で問い合わせた。それは底の部分で、絵柄を隠す様に 別の部品が その上に載ると言う。絵柄が無くとも良い部品だった。読み直しても説明書だけでは理解できない。
 無駄な様でも 部品の種類を少なくした方が、効率的?何か一言足りない。工夫が必要と思った。

 自分の考えや思いを 過不足無く 誤り無く 伝えるのは難しい。私も 同じ様なヘマ を遣っているのだろうと思うと怖い。(GG)

大船渡教会

2012年11月15日

先日、仕事で宮古と釜石に行った帰りに大船渡教会に立ち寄った。
朝6時半に仙台を発って盛岡南インターから宮古に向かい、釜石を経由して大船渡に着いたのは4時半、日が暮れかかるころだった。
11月にしては暖かな日だったから、暫し、聖堂前で京都から応援に来られている森田神父と立ち話をして帰ってきた。
大船渡教会は、昨年の夏数回訪れて以来だ。
聖堂は海に臨んではいるけれど、小高い丘の上に建っているため津波の被害は免れた。しかし、丘の麓にあった納骨堂は流され、聖堂に隣接するカトリック海の星幼稚園のスクールバスの車庫も流された。納骨堂に安置されていた5柱の遺骨は、未だ帰っていない。
ただ、あの日、園児たちは、園舎裏手の崖を先生たちに手を引かれて下りて避難し、全員事無きを得たそうだ。
昨年夏は、聖堂と幼稚園に上がっていく坂道も一部が流され、周囲は瓦礫と壊れた建物が残っているだけで、以前の町の面影を偲ぶことはできないような状況だった。
丘の上から周囲を見渡すと、復興への兆しが少しだけれど、見え始めている。行政は周囲の土地利用の計画を決定したそうだし、あたりには闇が広がる中ポツリポツリと灯火が見えている。
聖堂屋根に聳える十字架にも、灯火が点されている。
丘の麓から見上げる十字架の灯火が、町の人達にとって希望の象徴となるよう祈りたい。(GON)

秋の一日

2012年11月11日

 11月9日朝、洗濯物を乾そうと 外に出た。竿を手にした途端、小さな雨粒が髪に当たった。天気予報の「午前・30%」を 甘く見たかも知れない。厚物は乾燥機、薄物は部屋乾しに切り替えた。
 午後、証明センターと時計店へ出掛けた。暫く歩いて、ケイタイを忘れたことに気付いた。どのルートを取ろうか等と 漫然と考えていたからであろう。一瞬躊躇ったが戻らなかった。
 帰り道、街路樹が 紅葉の盛りだった。何時もは、反対方向に歩くので 気付かなかったのだろう。写真に撮ったが、雲が多く悔やまれた。

 少しずつ ずれた一日でした。

 ケイタイは、娘夫婦から 非常連絡用として渡されていたものですが、忘れても支障なかったので、ホッとしています。こんな近くに 絵になる紅葉があったとは迂闊でした。天候も今一でした。

 期待外れ、物忘れ、うっかり。「想定外」とも違うものでした。ケイタイの電池が少なくなっていたのを 今思い出しました。外が暗くなりました。少し冷えてきました。
 平凡でしたが、老人の尊い一日でした。(GG)

Nコン

2012年10月31日

 「Nコン2012」の本番・高校の部が、10月6日(土)午後、放映されました。音楽が苦手の私が、こんなに興味を以て観たのは初めてです。
 それは、4月9日の「日記ー間合い」に書いた「課題曲発表に向けての練習風景」に出会っていたからだと思います。そしてまた 今回の番組からも多くのことを教わりました。

 出場校の真摯な練習風景が紹介されていました。声作り、表現力アップには、私の考えも及ばない工夫と努力がなされていました。

 不覚にも肺炎に罹り、二日目の小学校の部、三日目の中学校の部は、病院のベットの上でした。点滴を受けながらも観ることが出来ました。

 Nコンから10日以上経った今、心に残っているのは、「彼らは、歌の言葉を、その声に載せて 誰かに伝えたいと願っていた。しかも熱い思いで。」ということです。

 そして次は、出場校の中でも珍しいケースだと思いますが、参考になりました。
 或る女声合唱部は、高校に入ってから始めた人が殆ど。指導者は、「生徒自身が 課題を見つけ合う事が 上達を促す」との考えを持っておられました。
 生徒も立派でした。練習の後でパート毎に、生徒同士が表現方法やハーモニーの取り方を真剣に話し合っていました。
 合唱の喜びも話していました。「初心者が虜になるのは、練習を重ねているうちに上達していくのを自分で感じ、 心が一つになっていくのも実感できるからです。それが合唱の魅力です」と。
 出場を前に「モットーは 音の和 心の和」と宣言していました。

 4月の「練習風景の放映」は、NHKが今年から始めた新しい試みだそうですが、良い実を結んだのでないでしょうか。私には有り難かった。
 合唱の放映は、NHKの技術でも難しい。生で聞けたら尚良かったと思っています。(GG)

1 2 10

pagetop